桜丼和寿のブログ

サラリーマン、研究者、自営業、一家の主人

Aクラスの姐ちゃん達の放射線

早めの仕事上がりから、筋トレ。上半身トレーニングが捗る。ベンチプレス、インクラインドベンチプレス、ナローラットプルダウン、ダンベルカール。最後に映画を見ながら、ランニング。疲労度が低いためか、追い込める。普段もこれぐらい追い込みたい。

 

家帰ってから、ワインエキスパートの勉強をしようと思ったら、やはり疲れている。断念。これだから駄目なのだ。最後1週間。高校時代の定期試験と思って、思いっきり勉強しよう。言い訳はしたくない。

 

ハリポッター 不死鳥の騎士団。名優ゲイリーオールドマン(シリウスブラック役)さんの演技を観たいなと思い、最後の神秘部の戦いから視聴。だって、アンブリッジの顔を観たくないもん。それだけ演技力があった証拠。

 

第五作から、ハリーポッターも毛色が変わる。これまでは友情や家族のハートフルな部分が多かった。4作目のヴォルデモートの復活後、完全な悪と正義の戦いに変わる。ハリーは学内で自警団「ダンブルドア軍団(Dumbledore Army)」を結成。学外の反社会性力と戦うために、自衛の技術を学び、実践する。

 

神秘部の戦いにおいて、若いいつもの3人、ルーナ、ネビルが共闘する。しかし悪の二番手のベラトリックスレストレンジ(名優Helena Bonham Carter)には屈指して、万事休す。しかし、不死鳥の騎士団が登場により、学生達は守れる。ルーピン、ムーディ、キングスリー、トンクス、そして、シリウス。「君はよくやった、あとはまかせろ」とハリーに伝え、大人達の肉弾戦になる。たまらん。熱い。

 

この場面から、銃を使うように杖で呪文を飛ばす。しかも呪文を言わずにだ。正義と悪のどちらも登場シーンのエフェクトがカッコいい。ハリーポッターの後半がアクション映画と批判されることが多いが、映画としてファンタジーからアクションへ描き方を確かに変えている。しょうがない。ストーリーの中心が戦争になったからだ。

 

ご存知のようにシリウスはベラトリックスにより殺害され、「死のアーチ」を潜った。God Fatherであるシリウスとの別れはあっけないものだった。ハリーは壊れる、キレる、暴走する。まさにダークサイドモードに入り、ベラトリックスに禁断の呪文を使うが、ここで闇の帝王登場。同時に正義の象徴ダンブルドア登場。

 

初の大将同士の直接対決のエフェクトも圧巻。正直本から伝わることのなかった激戦である。ほぼ互角であり、ヴォルデモートはダンブルドアを殺せないと分かったら、次に隙を見つけ、閉心術の使えないハリーの心にヴォルデモートが侵入。次作を知っている人間からしたら、ハリーの身体の中にヴォルデモートが二人?

 

乗っ取られたハリーに、ダンブルドアはこう言う。

 

ハリー、いかにあやつと似ているかではない。いかに違うかだ」

 

"Harry... It's not how you are alike. It's how you are not."

 

思春期と青年期の間にいる彼を救い、ヴォルデモートは退散する。映画では戦闘シーンも大事にされているが、やはり要所には重たい言葉がある。JKローリングは随筆家であり、哲学者である。また原著を読もうかな。

 

どの作品か忘れたが、ダンブルドアのお言葉をもう一つだけ。

 

“It is our choices, Harry, that show what we truly are, far more than our abilities.”

 

能力ではなく、自分の選択した結果が自分自身であると。能力はファンタジー。偏差値、資格、学歴、社歴、生まれではない。人生の大事なタイミングにおいて、自分で決断出来るか。もし子供がいたら、同じ言葉を伝えたい。

 

あと私もシリウスみたいなGod Fatherを指名したい。もう候補者は決まっているが。

 

好きなものを語ると長くなるね。たまにはこんな散文、拙文もいいでしょう。